<淡雪>
<淡雪>
初冬のイセリアの空気は、澄み渡っていた。
雲ひとつない晴れた空の下、鐘の音が鳴り響いた。
和やかな空気の中、人々の笑い声がさざめく。
暖かな拍手に包まれ現れた花嫁はかつてシルヴァラントの神子だったコレットだ。相手は言うまでもないあの闘いの英雄
と言えるロイド。
二人の結婚に、人々は歓喜した……。
紙吹雪が舞っていた。花嫁はその中で微笑み、ブーケを放った。
ブーケは綺麗な放物線を描き、藤色のドレスを纏った女性の手の中に落ちた。
―――歓声が上がる。
銀色の髪の女性が女性の肩を抱く。
「次は貴方の番ね」
―――――女性――しいなは曖昧に笑った。
「…………あたしは……」
目を細め花嫁を見る。幸せそうなコレット。眩しくてつい眼をそらした。
「―――きっと…………」
幸せそうな、ロイドとコレット。たくさんの出来事があってそれを乗り越えて来た二人だから、あの二人は幸せになるべき
だと思う。
――だが……自分は……。
「……幸せになっちゃ……いけないんだ……」
その独り言は誰にも届かない。
―――筈だったのに。肩に置かれた手にしいなは振り向いた。
「よ!ひっさしぶり〜!元気か〜」
相変わらず馴れ馴れしい態度にしいなは苦笑した。
―――1番、会いたくない奴に……。
「……ゼロス……」
礼服に身を包んだ彼はやはり貴族でしかなくて。
―――でも喋り出せば止まらない三枚目だと知っている。
それは短い期間とは言え共に旅をしたからだ。
――――旅が始まる前と終わった後の僅かな期間、特別な関係だったこともある。
「……久しぶりだね。3年ぶり?」
「……だな。…ちっと話ししねーか?」
「……」
3年前の痛みは今でもじくじくと膿む傷口のように痛む―――………。
『……別れよーぜ〜?』
『……は……』
『結婚することにした。ヒルダ姫と』
『…………そう…』
―――始まりもゼロスからなら幕引きもゼロスによって唐突に訪れた。
怒る暇もない、突然の別れ。
それは時間と共に深い深い傷口を現してその痛みはしいなを苦しめた―――。
―――今更、何を……?
そう思ったが、動揺を悟られたくはなかった。
3年経って、少しは大人になったことを示してやりたかった。
「……しいな。結婚は…?」
「あたし?……当分予定はないね」
「へぇ。意外。しいな、おろち君あたりと結婚してガキの一人や二人いるかと思った」
「…………」
無神経な発言に思わず眉をひそめた。
だが、怒りはしない。――――もう昔とは違う。
彼はしいなが気安く殴って良い立場の人間ではないし、しいなもそうだ。
「……あんたは…二人、子供がいるんだったけか?」
ゼロスは意外そうな顔をした。そして、笑う。
「……そっ。俺さま似のかっわいいガキだぜ〜」
「………」
昔なら『アホ!!』とでも言っていたが、ただ苦笑した。
―――確かにゼロスとあの美しいヒルダ姫の子供ならさぞ可愛いに違いない。
「……あたし、もう行くね?じゃあ元気で……」
言って歩き出した。
―――ねぇ…?うまく出来た?………あたし、大人になった……よね…?
いつも、いつも、子供扱いしてきたゼロス。
―――でももう、子供なんかじゃない。
あんたが、あたしを大人にしたんだ。
恋の始まりのときめきも、終わりの苦々しい思いも、ゼロスに会わなければ知らなかった。
現実に折り合って生きていかなきゃいけないことも―――……………。
リフィルが立っていた。
「………良かったの……?あなたはそれで……」
「……なんのことだい?」
「…………」
「…リフィル、良ければこれ、あげるよ。あたしにはいらないからね」
かわいらしいブーケをリフィルに手渡す。しいなは後ろを見ないで歩き出した。
メルトキオを訪れたのは久しぶりだった。
ミズホの仕事を済ませ、なんとなく教会に立ち寄った。
―――祈る者の殆どいなくなった教会は寂れていたが、ステンドグラスから入る日の光は美しいままだった。
「………しいな……?」
呼ぶ声に、振り返った。
「……ゼロス……」
どうして、ゼロスが教会に………?
1番嫌いな筈なのに……。
ゼロスは怖い程、まっすぐにしいなを見つめてくる。金縛りにあったように動けなかった。
「…………」
今までも、何回か、こんな目を見たことがある―――――この目を見ると金縛りにあったように動けなくなる――――それも、
知っていた。
「…………」
気が付けば、ゼロスの腕の中に捕われていた。
―――拒まなければ。
ゼロスはメルトキオ王女ヒルダの夫だ――――こんなところを誰かに見られれば、ただでは済むまい。
不思議な位、身体は動かなくて、代わりに涙が出た。
ゼロスはしいなの涙を拭って、口唇を近付けた。まさに、触れようと言う瞬間に、しいなは叫んだ。
「……ダメ…!!」
ぴたり、とゼロスは止まった。
「……どーして……?」
「……ダメ……。火遊びなら、誰でもいいだろ?」
―――これ以上、あたしの心を土足で荒らさないで。
「……火遊びなんかじゃ……ない」
その言葉と共に口唇を奪われた。
激しくて―――――それでいて懐かしい感覚に意識が途切れそうになる。
「…………」
くすり、とゼロスが笑った。
「キスして余裕がねーのは変わらねーな」
「……っ……」
思わず拳を固めた。
――殴っちゃだめだ!!
「殴ればいーのに…」
ゼロスが呟いた。何故か哀しげに。
「サイテーな俺さまを殴ればいいのに」
「……殴れるわけないだろっ!」
「なんで??」
「………あんたは……メルトキオ王家の人間だ……あたしはミズホの頭領で………メルトキオ王家から仕事をもらって……」
「違うな」
「……?」
「俺さまはゼロスで、お前はしいなだ。王家もミズホも関係ねぇ。………王家に尻尾振ってお前を捨てた、サイテーなゼロス
さまだ」
「……そんなこと、言うな」
「どーして??」
「………あんたはサイテーだけど、楽しかったから……あの時の思い出まで惨めにしないで…」
涙が出た。とめどなく。
「………へぇ…」
ゼロスが笑った。
「楽しかったんだ?初めて聞いた」
―――冷たい目。あんたは……楽しくなかったの…?
「……!…」
押し倒されていた。悲鳴を上げても、それは奴の口の中に消えて行く。
それは―――――果てしのない虚無への入口……。
――――アイシテイル
そう、ゼロスは言った。
―――――昔は……。
……どうだったっけ?
『バカッ!大声で言うんじゃないよ!』………そんなことを言った覚えがある。
今は…………。
しいなは淡く笑った。
――――だって…『アイシテイル』って何を?
―――惨めなあたし?それとも傲慢なあんたを……?
ゼロスの腕を振りほどこうとしいなは動いた。
――けれど、離す気はないらしい。
「……あんたは誰も愛せない」
―――何故なら―――あんたはあたしと同じ虚無の元に生まれたのだから。
『アイシテイル』
その幻想を見ているだけ。
ゼロスは笑った。
「………かもねぇ」
腕の力が緩んだから、するりと抜け出す。身体が軋むように痛んだ。
「………また来いよな?」
「……ねぇ。あたし、そんなにバカに見える…?」
しいなの質問に…ゼロスは笑った。
「……見えるね」
―――果たして、二人は逢瀬を重ねた。
―――ゼロスだから…?
昔、確かに好きだった。
――――あたしだから?
あたしはバカだから……。
いや――――きっと……
――ここが教会だから……だ。
メルトキオの中心にありながら、寂れ誰も訪れないここは愚かで罪深い二人が息をひそめるのに相応しい。
………話はしない。
今、何をしているのか?
なんと言ってここへ来ているのか?
奥様は―――子供は―――――聞きたいことは山とあったが、会えばまず口唇を重ね、身体を重ねた。
「……やっぱり、あの時……消えちまえば……良かったんだ…」
―――あの時っていつ?
ゼロスが仲間を騙して姿を消した時―――?
―――それとも、二人だけで短い旅をした時……?
聞きたい…けれど…聞きはしなかった。聞いても過去は変えられない。
―――死んでしまったあの人たちが戻れないように。
「……しいな……」
切なげに、ゼロスはしいなの名前を呼ぶ。
その度に、胸が苦しくなった。
―――名前を呼んで。
でも呼ばれれば、離れがたくなる―――いつか離れなければいけない。
それなら、どうか―――――
「名前は………呼ばないで」
―――あたしたちは、互いの虚無を埋めるために、抱き合っているだけだから。
―――あんたにも、あたしにも名前なんて必要ない。
いつも、いつも涙が出た。辛いのに、何故会うのだろう……?
「……俺たちは運命の二人だから」
「……なにそれ?」
「離れるなんて無理。離れてもまた絶対に会うよーになってんでしょ」
きっとそれは、赤い糸のようなロマンチックなもんじゃなく、有刺鉄線のような形をしている。
互いに傷つくのに、会わずにはいられないなんて。
それなのに『もうやめよう』と言う言葉は出なくて………。
―――なんて卑怯なんだろう……?
昔、あんたが言った通りだ。裏切ったのは―――あたしが先。ゼロスが結婚してるなんて知っていて会ってる。
罰せられる日が遠くない―――そう。解っていたつもりだった。
空は晴れていたけれど、冷たい空気――。
―――もう、真冬だ。
「……雪が……降るかもしれないね……」
ゼロスは答えない。
雪がなにより嫌いなゼロスは雪が降る前にメルトキオより南に長期滞在する。
その習慣は結婚後も変わっていない筈だ。
………だからゼロスはもうすぐ行ってしまう。
そうすれば二人の関係も終わるのだろう。まるで淡雪のように儚い夢―――。
しいなはゼロスの肩に頭を乗せた。
――――雪が降って欲しいのか、欲しくないのか…………分からない。
ただ、涙が出た。ゼロスは静かにしいなを抱きしめた……。
「最近、しょっちゅうメルトキオに行っているな」
「……そう?」
おろちの言葉に首を傾げた。
昔より、きっと嘘は上手くなった。けれど、おろちは幼なじみ―――嘘がばれていないか……正直不安だ。
「……以前は避けていたじゃないか。ロイド殿とコレット殿の結婚式以降だな…」
――――疑われている。
直感した。
ゼロスと会っているのではないかと、おろちは疑っているのだ。
「……」
「仕事だから。…あたしが行った方がスムーズなことも多いだろ?」
白々しい。こんな嘘おろちに通じるわけがない。
―――あたしを止めてよ……?
あたしの罪に気付いて、あたしが取り返しのつかないことをしでかす前に止めて。
「…………お前には皆、期待している。……知っているな…?」
「……分かってる」
―――あたしの過ちでミズホに迷惑をかけちゃいけない。
あたしは、ミズホの頭領だ。
―――それならば、選ぶ道は定められている筈なのに………身体はメルトキオに向かう。
そして教会へ―――――。
「…………」
かつて、コレットは言った。
『祈る』ことは神様に祈るだけじゃない―――自分の中にいる神様に祈るのだと――――あたしの中にも、まだ神様はいるの
だろうか?
これほどに罪深いあたしに―――………。
埃の溜まったマーテル像を見上げた。
ぽん、と肩に手を置かれた。
振り向きはしない―――振り向かずとも、男はしいなを抱きしめてくる。
それだけで相手が誰か判る。
男の腕にしいなは手を伸ばした。
「……ねぇ?どうしてあたしがメルトキオに来たらすぐ分かるの……?」
「……だからぁ…俺さまたちは運命の二人だから…」
しいなの身体を自らの方に引き寄せながら、ゼロスは言った。
「…そんなくっだらない冗談どーでもいーから」
ばっさりと、言うしいなはつくづく変わらない―――そう思う。
くっ……思わず笑った。
しいなの眉が寄る――やっぱりしいなは変わらない。
本人は背伸びして、変わったつもりでいるけど……。
「お前、相変わらず鈍いな〜?」
キレそうな顔―――だがキレないのは大人になったのかも――面白くない。
「……お前、めちゃめちゃ目立つのよ」
明らかにミズホの民と分かる美しい女――――目立たないわけがない。
―――スラムの子供たちから、口さがない貴族の娘たちから、しいなが訪れたことはすぐにゼロスに伝わった。
目立つことに関してはゼロスとて自信がある。
――おそらくしいなが来て、ゼロスが姿を消していることくらい気付いている者もいる筈だ。
――――ヒルダも……。
浮気なら腐る程した。絶対にヒルダも気付いている筈だ。―――だがヒルダは何も言わない。
昔、言われた言葉を思い出す。ゼロスに言ったのではない。他の者に言っているのをたまたま耳にしただけだ。
『遊ぶのはかまいませんの。……あの人は賢い方ですから、私の元に必ず戻りますわ。………戻らないようなことがあれば、
私、あの人を殺しますけれど。………女も一緒に』
笑ってしまった。ヒルダは目の前の人間に言っているのではない。
カーテンごしに盗み聞きしている、ゼロス本人に言っているのだ。
「……ゼロス……?」
見上げてくるしいなの澄んだ瞳に、泣きたくなった。
―――巻き込みたくなかったんだ……。
しいなの歩く道が幸せに満ちるように―――そう思っていたのに。
だからこそ、『捨てる』――そんな形でしいなを手放した筈なのに。
――――3年ぶりに会うしいなは、美しくなっていた。
元々素材は良かったが、3年経ち、人目を引く程に彼女は美しかった。
けれど、瞳を覗けば、昔と変わらないアンバランスな危うい光――――澄んでいるのに、どこか闇の深淵のような底抜けの暗い色。
出会った日と変わらない色。
その色に惑ってしまった。
もう一度会いたいと願った。
教会の中のしいなはステンドグラスの光に溶けて消えてしまうのでは――――そう思った。
だから、無我夢中で抱きしめて、気が付けば、離すことなど出来なかった。
――――押し殺してはいたけれど、この眼はしいなしか見ていなかったのだ。
――再び眼に映った以上、離すことなど出来ない。
――――それは、彼女をも闇に堕とすこと。自らのエゴで。
解っている。解っているから『もうやめよう』そう言わなくては……。
『昔の女がちっといー女になってたから、試してみたかっただけなんだよ。お前も楽しかっただろ?』
そう言えばいいだけのこと――――言えばしいなは笑うだろうか?
今のしいななら言うかもしれない。
『……そうだね。終わりにしよう』
―――けれどその眼を見ればきっと、抱きしめたくなってしまう。
果てしない虚無を埋めるのは互いでしかないのだから。
『アイシテイル』―――彼女に拒まれた言葉。
『……あんたは誰も愛せない』―――と。
けれど―――愛している。
歪んでいても、醜い形であっても――――その言葉でしか彼女への感情は表現のしようがないのだ。
疲れ果てて眠ってしまったしいなの寝顔を見る。あどけない寝顔に、時が戻ったような錯覚を覚える。
――――永遠に離れられないように、この腕の中で殺してしまおうか……?
例えば、彼女を抱いたまま、死んでしまえれば……。
恐ろしい程に歪んだ自らの愛に戦慄を覚えた。
「………しいな…」
彼女の名前を呼ぶ。拒絶されたその名前を呼べば、不安が少しだけ軽くなるような気がした。
―――変調に気付いたのは、朝のことだ。
いつもなら必ず食べる朝食を食べられない。
吐き気がした。拙い知識で日めくりを眺めた。
――――前は……いつだったっけ…?
指折り数えて、定期的に訪れていたものが訪れていないことに気付いた。
―――まさか………ねぇ………。
ほとんど避妊はしていなかった。可能性はある―――どころか高いくらいだ。
だが、しいなは首を振った。
「……有り得ない…」
虚無から何かが生まれるなんて聞いたこともない。
「―――しいな」
おろちの声にしいなは顔を上げた。
「……なんだい?」
「仕事だ。ヒルダ姫がミズホの頭領のお前に直々に仕事を頼みたいとのことだ」
「……ヒルダ姫…?」
ゼロスの妻。メルトキオの王女―――直々に……?
「……分かった。メルトキオに行ってくる」
香り高い紅茶。白い指先。
―――全てが違い過ぎる。ヒルダはしいなを見ようともしない。紅茶をじっと見つめたまま、淡々と言った。
「……貴方を呼んだのは他でもありません…」
――――ゼロスのことだ。確信した。
「……私の夫、ゼロスのことです…」
「………」
「……恥を忍んで言いますが、女がいるようなのです」
淡々とした口調が、これほど怖いと思うのは初めてだ。
「―――貴方には、ゼロスの女を探して欲しいのです」
「……!」
「……そしてもしも、その女が身分なき者ならば………亡き者にして欲しいのです…」
「………っ…」
初めてヒルダはしいなを見た。その微笑みは美しく―――冷たい。
―――この……ひとは……知ってる……。
全てを知った上で言っているのだ………。
「……成功した暁には充分な報酬と、私からお父様にミズホによく計らうようお話させていただこうかと思います」
「………もしも……」
声が掠れた。
「……もしも、失敗したら、メルトキオはミズホに仕事を頼むことはないでしょう…。……でも失敗なんて有り得ませんわよね?
……貴方はヴォルト以降失敗などしたことはないと聞きました…」
くすくすと笑うヒルダ。
「……」
バタン!…とドアが開いた。泣いた赤子を抱いた男が入って来る。
「ヒルダ〜。シアハスがむずがってひどいんだ。あやして………」
男はしいなを見て、動きを止めた。しいなは笑う。
―――嘘が得意なあんたらしくもない。
ヒルダはゼロスから赤子を受け取った。ヒルダが抱きあやすと暫くして赤子は眠り出す―――。
赤子の髪は綺麗な赤色をしていた。父親に似たのだろう。しいなは微笑んだ。
「………可愛いお子様ですね。ゼロス様によく似ていらっしゃる」
ヒルダは微笑んだ。先程の冷たい笑みとは異なる柔らかな笑み―――。
「………でしょう?」
「……先程の件、確かに承りました。お任せ下さいませ…」
「……期待しています」
「では、失礼いたします」
しいなは一礼して、部屋を出た。
雪が降りそうな空の色。
ゼロスは来ないかもしれない―――――来ないで欲しい。
身勝手な祈りを捧げる。そんな勝手な祈りを誰が聞き入れるというのか――――。
俯き祈るしいなを抱きしめる腕―――――何も言わず涙が溢れた。
気付かれぬようにそれを拭い、ゼロスに笑いかけた。
「……子供、可愛いね」
ゼロスは黙り込む。
「……終わりに、しよう?昔が少しだけ懐かしかっただけなんだ。……楽しかったよ」
―――嘘。会う度に胸が引き裂かれるように痛かった。痛くて泣き叫びたかった、でも――――それ以上に―――
――ゼロスに会いたかった。
だから………微笑んで。言わなければ。
「でも……もう、うんざり……だよ………」
……なんだ。なんて簡単なんだろう。あたしも嘘、上手くなったよね……?
「……だな。俺さまも、昔の女がちっといい女になったから懐かしかったのよ」
………そう、それでいいのだ。
もうこれで二人の人生は交わることはないのだから、ばっさりと潔く切り落として。
「……あんたは、行って。あたしは少しだけ祈っていく。もう二度と会わない………この教会にも来ない。……いいね?」
「……あぁ……」
ゼロスはしいなの頬に手を触れた。灰蒼の眼は静かにしいなを見ている。この不思議な色の眼が好きだった―――もう
二度と見ることが叶わないだろうから、焼き付けておこう―――。
触れるだけのキス―――――間違いなく最後のキス。
「さよなら……ゼロス」
「……あぁ……」
ゼロスは歩き出した。
もう振り返りはしない。
教会のドアが締まったのを見てもう一度呟いた。
「……さよなら。ゼロス……」
祈りを捧げた。
罪深い自分の祈りが届くとは思われないけれど、どうかゼロスが幸せになれますように―――………。
ミズホの皆が幸せでありますように――………。
「……コリン……頼んだよ……」
呟いて、イフリートを召喚した。
乾燥した教会は燃えて行く――――あたしの罪も何もかも燃やし尽くして。
教会の梁が音を立て崩れ落ちた。
―――ごめんね。おろち。
……あたしはやっぱり頭領失格だ…。だけど、あたしがいなくなっても、あんたがいればミズホは大丈夫………。
――――ゼロス……。あたしは……あんたが好きだった。それはもしかして愛と呼べるものだったかもしれない――
―――だから――………。
「しいな…!」
呼ぶ声に振り向いた。
そこに立っているのはゼロス―――何故…?
「――お前の嘘って相変わらずわかりやすすぎ」
低い声で言って抱きしめてくれる腕の温かさに涙が出た。
「……バカっ!!ここはもう焼け落ちちまう……あんたは行くんだ…!」
渾身の力でゼロスの身体を押す。それなのに、ゼロスはしいなを離そうとはしない。
「離して……行って…!」
「……やだ」
「やだって何バカなこと……!」
「バカだろーがアホだろーが………もう決めたんだ」
ゼロスは更にしいなを抱きしめた。
「……もう離さない……」
しいなの腕から力が抜けた。そして、轟音が響いた―――………。
メルトキオの教会を襲った火事は消えることなく、教会を焼き尽くした。
その中に、メルトキオ王女ヒルダの夫であり、テセアラの元神子ゼロスがいたらしく行方不明となった。
――――ミズホの頭領藤林しいなも、同様に。
遺体は、見つからなかった。
遺体など見つからぬ程に、激しい火事だったのだ。
二人は何故会っていたのか―――ミズホと王家の密談とも、もとより派手だったゼロスの火遊びだったとも囁かれた。
―――真実は誰にも分からない。
二人の葬儀はひそやかにそれぞれメルトキオとミズホで行われた――………。
教会跡地――――……。
本格的な冬はメルトキオに久方ぶりの大雪をもたらした。
黒く煤けてしまった教会跡地にも、雪が降り積もる。二人の罪を覆い隠すように………。
銀色の髪の女性は、花束を捧げようとして、先客の存在に気付いた。
「……あなたは…」
忍び特有の装束を纏った男は軽く会釈を返した。
「……ミズホは大変なんではなくて?」
「……」
男は答えない。
「……あの二人、本当に消えてしまったわね…」
「……」
「でもきっとここにはいないわね。ゼロスは雪が大嫌いだったし、しいなも寒いのが苦手だったから」
「………南……アルタミラあたりかもしれないな」
ぼそりと呟くようなおろちの冗談にリフィルは肩をすくめた。
「……ねぇ?本当にあの二人は死んでしまったの?」
遺体は見つからなかった。―――あの二人なら、火事の中、逃げて姿を隠すくらいのことは出来るような気がした。
「……さぁな…」
「調べないの?貴方たちの情報解析能力があれば容易そうだけれど……」
「……しいなはそんなこと望まない」
曲げることない強い意思の滲む言葉に、リフィルは頷いた。
「……そうね………」
おろちの表情はマスクで隠れよく分からない。
「……あなた、気付いていたのではなくて…?」
ゼロスはともかく、しいなはお世辞にも嘘が上手いとは言えない。
副頭領としてしいなの傍にいたおろちがゼロスと会っていたしいなに気付かないとは思えなかった。
「……しいなは辛そうだった」
「………なら何故…?」
―――止めなかったの…?
リフィルの口にはしない疑問に、おろちは答えた。
「……しいなは……ここ2月程、怖い位に美しかった。―――辛くとも、神子殿に会いたかったのだろう……」
「……そう……」
―――幸せ、なのだろうか…?
「……何か、何処でも喧嘩していそうだけれど」
「………それでも仲良くやっているのがあの二人らしい」
おろちは言いながら花束を跡地に捧げた。
「……そうね……」
リフィルは花束をその横に捧げた。
風に花束を束ねたリボンがひらひらと揺れていた―――………。その上にも雪は降り積もって行く………。
end
2006.10.21up 
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