06-手の温かさ




今でも鮮やかに思い出せる。

寒い夜。

明るい月。

それなのに降る雪。

月を眺めるあの人の怖い位に綺麗な横顔。

あの人の―――――冷たい手。



<手の温かさ>



ついこないだまで暑くてしょーがなかったと言うのに、秋の訪れは意外な位に早く急激な気温差にメルトキオでは風邪が大流行だ。

俺は、身体を翻し乱暴にドアを開けた。

「お帰りなさいませ」

慇懃に挨拶するセバスチャンを見遣り、訊ねた。

「―――で、セレスは?」

「トクナガが」

「……ん」

言われ俺はセレスの部屋に向かった。部屋の前には案の定トクナガが立っていた。

「………セレスは」

手短に訊くとトクナガは無言で首を振る―――「そんなに悪いのか!?医者を……」

「お静かに。セレスさまはお休みになっています」

にやり……と人の悪い笑顔でトクナガは言う。

「………」

喰えねぇヤローだ。

俺はトクナガを上から睨みつけた。―――全く怯むことなく笑顔も崩さない。

「……ちっ…」

俺は一つ舌打ちして自室に向かった。




「………」

セレスがメルトキオに来て2ヶ月―――温暖な修道院に比較して明らかに寒いメルトキオ――――俺は未だにセレスをメルトキオに
呼び寄せたことは正しかったのか解らずに、いた。

メルトキオの小煩い連中は、長く幽閉されていたセレスに異常な程の関心を示した。

俺とセレスのある意味特殊な関係は連中の知るところでは勿論あったので、何故今更俺がセレスと同居を始めたのか―――口さが
ないことを言う奴は後を絶たなかった。

俺はいい。こんなのは慣れっこだ―――だがセレスは疲弊しきっているように見えた。

セレスが体調を崩したのはメルトキオの気候のせいだけじゃない。

「………」

元々気はしいな並に強いが身体の弱いセレスには強すぎるストレス――――。

それになにより俺たちは未だに互いの距離をとりあぐねていた。

普通の兄妹として接するには離れ過ぎていた―――――誰より大切にしたい、そう思っても、俺はそれを表現する術を知らない。

「まさか普通の女の子みたいに『ハニーv』って言うわけにはいかねーしなぁ……」

セレスは?

セレスはどう思っているんだろう。

『私、やっぱり南の修道院に帰りますわ』

――――そう言われたら。

俺は勝手にショックを受けるだろう―――同時に俺はきっとほっとする。多分。いやきっと間違いなく。



「俺さまサイテー……」

「どこが??」

ひょいと覗く顔。

「???!!?!」

「久しぶり!元気かい?」

「元気かいってお前いつの間に?!!」

ふーん……しいなはかるく鼻を鳴らした。しいなにしては意地悪い笑顔を浮かべる。

「あたしに気付かないなんてあたしの腕も相当上がったみたいだね」

「あー……」

俺が気のない返事を返すとしいなは黙ってベッドに腰掛ける。

「……それとも、あたしのことなんか忘れちゃう位夢中な女が出来た……とか?」

「………実は……そうなんだ」

「ふーん」

「ふーんって!!ちょっとは焦るとかビビるとか嫉妬するとかないわけ!?お前!」

「……だって」

しいなは小首を傾げた。

「それってセレスだろ」

「………なんで知ってんだよ?」

「だって皆言ってたよ。神子さまは妹との同居に疲れ果ててるって」

あっさり言うしいな。

「ま。あの連中の言うことだから脚色はされてると思ったけど、どんな感じか見に来たのさ」

「…………」

「で、どんな感じ??」

「………」

俺はしいなの問い掛けには答えず、しいなの身体を無理矢理引き寄せた。

「?!」

抵抗しようとする手を捕らえて俺はしいなの瞳を覗いた。

――――「好きだ」

ぱぁっと鮮やかにしいなの顔が染まる。

「ばっ!? あっ!!あんたいきなり何を……!」

おどおどと逃げ惑うしいなの瞳。

強く見つめれば、あっさりと陥落する。

しいなは長い睫毛を伏せた。

俺はそれを確認すると、しいなと口唇を重ねた――………………。







「うーん…………」

「……何難しい顔、してんのさ?」

「しいなと愛を確認する方法は解ってんだよな〜……」

「バッ…バカっ!!!」

「……うーん……」

「………」

「うーん………」

「あたしも兄弟はいないからさ、よくわかんないけど」

「……」

「普通にすれば?」

「……普通が分からねぇ」

「うーーん……重症だね〜……」

「……あいつ、風邪ひいてるんだ」

「……!」

「でもさ、どうすればいいのかさえ、俺、わかんねーよ」

「……でも……」

「……俺、今でも思い出すんだ……」

「……え?」




今でも鮮やかに思い出せる。

寒い夜。

明るい月。

それなのに降る雪。

月を眺めるあの人の怖い位に綺麗な横顔。

あの人の―――――冷たい手。



「風邪、ひいてさ」

「……うん」

「……あの人が、傍にいてくれてさ」

「………」

「俺は熱があって、寝ているんだ。だけどあの人は窓を全開にしててさ、俺なんかみないでずっとず……っと、外を見ていた」

しいなは無言で俺に抱き着いてくる。

俺はそれを受け止めた。

「雪がしんしん降っててさ、すげぇ寒かった。それなのに、空は明るくて月が出てるんだ」

「……雪月夜だね」

「月を見上げるあの人の横顔が泣きたい位に綺麗で――――」

あの蒼い瞳に、彼女は何を映していたんだろう?

「……きっと……好きな奴のことを考えてるんだろうな……ってガキながら思った……」

――――オレノコト、ミテヨ。

子供の時の激情がふいに立ち上り俺は首を振った。

「………それでもさ、あの人は俺の手を握ってて―――その時のあの人の手の冷たさ―――忘れられない」

「………」

腕の中の温もりにどうしようもなく泣きたくなって、俺はしいなの肩に顔を埋めた。

「……そんなんだからかなぁ……セレスとどう接していーのかわかんねー……。風邪ひいて、あいつは身体が弱いから俺は
心配でしょーがないのに、どうすればいーのか……」

背中に回っていたしいなの手が解かれて、しいなは俺の手を取った。そのまま俺の手を頬に導く。

「あたしはさ……あんたの手に触れられてると、安心するんだ」

「……」

「あんたの手がね、冷たくてもあったかくても同じように安心する」

俺だって、そうだ。しいなの手はまるで魔法のように俺を落ち着かせる術を心得ている。

「だから……手を握っててあげなよ?」

俺が?

「起きた時に誰かがいるときっと安心するから。それにね?」

しいなははにかんだ笑顔を見せた。

「ミズホでは冷たい手の人は心があったかい、そう言うんだよ」






「……」

セレスの顔は紅みを帯びていた――――額に手を伸ばすと、予想外の熱さ――――まだ熱は引いていないらしい。

ベッドの脇に置いてある椅子に腰掛けて、セレスの手をとった。


額はこんなに熱いけど、手はひんやりと冷たかった。

その感触に、あの時の感触を思い出して手を引っ込めたくなる。でも――――――。



『ミズホでは冷たい手の人は心があったかい、そう言うんだよ』


俺は、セレスの手を強く、強く握った。


「………お兄さま……?」

セレスの瞳が開く――――潤んだ瞳。

「……いて下さったんですか?」

「おぅ」

「………よかったのに…」

そう言ってセレスは俺の手を振りほどこうとする。

俺はぎゅっとセレスの手を握った。

「お兄さま…………うつってしまいます……」

「そんなの気にすんなよ――――なぁ、セレス?」

「………お前、辛くねーか……?ここの生活……」

聞きにくいことも、今なら聞ける気がした。

「………」

セレスは緩慢に首を振る。握っていた手が微かな力で俺の手を握り返してきた。

「……お兄さまは……辛いですか?」

本当は、セレスも。
セレスも不安だったのかもしれない。
それを俺にも誰にも言えなかったのかもしれない。

握り返してきた手の冷たさと、その力にそんな気がした。

「……んなわけねーだろ。早くよくなれよ。俺さまずっと手を握っててやる」

「…………」

反対の手で、セレスの髪を撫でた。

「早く、よくなれよ――」





「ったく本当ーにあんたバカだね!!」

「し〜な〜……」

「うん。38.5度。早く寝なっ!!」

しいなは検温計を片手に眉を吊り上げた。

「………ん……」

「んっ!? 離せ!!」

「……やーだ〜。しいなが手を握っててくれないと寝れない〜………」

俺は手にぎゅっと力を込めた。

「……相変わらずアホなんだから……」

しいなは呆れた様子で俺の手を握ってくれた。


――――あの人も。
ぎゅっと手を握ってくれていた。

もう確かめる術もないけれど。

少しは俺を思ってくれていたのだろうか―――?

「………あたしはさ、わかんないけど」

しいなは小さな声で囁いた。

「きっと、愛してくれてたんだよ…………そうじゃないと、手なんで握っていられないよ?」

「………」

そうだと、いいな―――――俺は強くしいなの手を握った。強く強くしいなは握り返してくれる。

その手の温かさを確かに感じながら俺は眠りに落ちていった―――――。



end



2007.10.28up