<Morning Coffee>
きっかけは、おろちの一言だった。
「……髪が伸びたな」
しいなは自分の髪に手をやった。
……言われれば、そうかもしれない。だいぶ髪を切ってない。ひっつめている髪の先が重力に勝てず、
くたりと落ちている。
「…そろそろ切るか」
<Morning Coffee>
「〜♪」
ゼロスは鼻歌を歌いながら、レアバードを止めた。
ここはミズホの里。
独特の文化が色濃く根付くこの里ではゼロスはあまりに目立つ。
赤い髪に、派手な服。
一目見た者は振り返らずにはいられない程、端正な容姿。ミズホの里の人間が騒ぎ出す。
ゼロスはにこやかに笑顔を返しながら迷いなく、ミズホの里の頭領の家に入って行く。
「おーい。しいな〜?いるか〜?」
パタパタとしいなの気配を探し、部屋をのぞいて回る。
しいなは陽の当たる部屋にいた。
「あ。ゼロス。来たのかい?」
「?!」
しいなはいつもはポニーテールにしている髪を降ろしている。そして、手にはナイフ――ミズホでは小太
刀と言うらしい―――を握っている。
「しいな?!」
ゼロスは走り寄って、しいなの手からナイフを取り上げた。
「…どうしたんだ!?悩みなら俺が……ぁでっ?!」
「なんなんだい!?あんたはっ!!」
しいなのパンチの威力は変わることなく、ゼロスは頭を抱えた。
「な…?なにすんのよー?しいなぁー…」
「それはこっちの台詞だよ!」
「だってしいながナイフなんか持ってたらろくなことしないだろー?」
「はぁ?!あたしは髪を切ろうとしてたんだよ!!」
「……髪………?」
ゼロスはキョトンとしいなの顔を見た。そして床に落ちた小太刀に目をやる。
「……まさか、しいなそのナイフで髪切るのか…?」
「そうだよ」
そうゆうわけだから暫くあっち行ってな、と犬でもあしらうようにしいなは手を振った。
「………」
ゼロスは軽いカルチャーショックを受けていた。
―――生きて来て22年、自分で髪を切ったことなど、ない。月に一度程度、お抱えのスタイリストがゼロス
の髪を整えて行くのだ。勿論、トリートメント付きで。
「……どーりで、毛先がピンピンしてるんだな…」
しいなに聞こえないよう呟いたつもりだったが、聞こえてたらしく思い切り睨まれた。
「あぁ。メルトキオの人は自分で髪なんか切らないんだね」
「いや〜。メルトキオの人間じゃなくてもあまり切らないと思うぜ…」
「さろん…とか言うんだっけ?」
ゼロスはわざわざサロンなど行かなくとも、スタイリストが赴いて来るのだがそんなことはどうでもいい。
「…わざわざお金を出して髪を切るなんてミズホじゃ考えられないよ」
外からちらっと見ただけだったが、髪を切ったりセットした着飾った貴族階級の娘たちが出てくるのは圧
巻だった。色とりどりのドレスとふわふわの巻き髪は自分に似合わないなんてこと分かり切っていたけれ
ど、美しくなった女性たちの顔はとても印象的だった。自分には一生縁のないところだろうが。
ぽん、とゼロスが掌を打った。
「い〜こと思い付いた!」
「やだっ!ぜーったいやだっ!!」
しいなは思い切り首を横に振った。
「どーして?」
ゼロスはそんな反応は予想していたのか、大して動じた様子もない。
「だってお前さぁ、一遍もひとに髪切ってもらったことねーんだろ?」
「ちっちゃい時はおじいちゃんが切ってくれた!」
「どっちにしろ素人じゃねぇか。ここは一遍プロに切ってもらって大変身してみろって」
「やだやだやだ!!」
「はいはい。……で、髪が黒いからさ………うん。その方向で。てけとーに頼むわ」
ゼロスは言うだけ言うと、部屋から出て行った。
「「………」」
ゼロスが立ち去ると、訪れる微妙な間………。
「……で、どうします?」
ゼロスが呼んだ、ゼロスお抱えのスタイリストは驚くべきか、予想通りと言うべきか女性だった。歳はゼロ
スよりいくらか上だろうか貴族のお嬢様とは少し違う雰囲気だが、かなりの美人だ。
「……あの……」
「無理は言いませんけど…せっかくだから切って行きませんか?」
柔らかい物腰で言われると断ることが出来ない――そんなしいなの性格を見越してゼロスは二人にした
のか―――?
「……メルトキオでは黒い髪の人ってあまりいませんから、一度切ってみたかったんです」
「……切るだけなら」
しいなが渋々、了承するといそいそと準備を始めたスタイリストを横目にしいなは溜息をついた。
―――本当に綺麗な人だ。
きっと、あのゼロスの『ハニー』の一人なんだろうけど。彼女がゼロスの横に立てばそれはお似合いなの
だろう。
「…しいなさんは」
スタイリストがしいなの髪を梳きながら口を開いた。
「ゼロス様の彼女ですか?」
「は?!」
「いや、恋人かな〜って?」
「違う違う違う!!あたしとゼロスは………」
スタイリストの驚くような発言に怯みつつも、しいなはゼロスと自分の関係を考えた。
友達?………なんかぴんと来ない。
仲間………それは間違いないのだが、どこかロイドやコレット、ジーニアスとは違う。
「………」
しいなはゼロスを見上げた。ゼロスはにこにこ笑っている。
「…やっぱり!俺さまの目に狂いはなかったぜ」
「…………」
しいなは不満気にゼロスを睨み付けているのだが、ゼロスは一切気にすることなく満足気だ。
いつも引っ詰めている黒髪は先を揃えられ綺麗にブローされている。ついで、とかなんとか言ってあのス
タイリストはしいなに普段しないメイクまでして行ったのだった。
「………こんなの似合わないよ…」
しいなは俯いて言った。
「んなことねーって。お前もそーしてれば誰もお前が妖怪暴力鬼女とは思わないって!」
「そーゆーこと言うのはそもそもあんただけなんだよ!!」
「いてっ!!もー!!ポカポカ殴るなっつの。さて…と。セバス。言っといたもんは届いたか?」
「はい。ゼロスさま。こちらに」
ゼロスはしいなの手首を掴みセバスチャンに続く。
「なんなんだい?!」
「その髪形に合うドレスを俺さま手配しといたのよー」
「ドレス!?」
「あ、俺さましいなの3サイズは知ってるから胸がきついとかの心配は無用だから」
「どーしてそんなこと知ってんだっ?!」
「それは日頃の観察と鍛練の結果……ぁでっ!!」
「大体、ドレスなんかあたしの柄じゃないしいいよ!」
「えぇー?王のドレスは着れて神子ゼロス様のドレスが着れないってどゆわけ??」
「あんたは神子はヤダヤダってゆーわりに都合悪い時はミコミコ言うね!」
「え〜。だって苦労してっからさ〜使える時使っとかないと…」
「使い方が間違ってんだよ!!」
ゼロスはちらっと時計を見た。騎士団との会合の時間が近い。
「わり。ちっとばかし仕事してくるわ。着替えて待ってて」
「…はぁ!?」
―――冗談じゃない、帰るよ!
としいなが言おうとした刹那、
「帰るなよ!」と言い捨てゼロスは走って行った。
「…………」
―――あいつも、忙しいんだ……。
知ってはいたが、分刻みのスケジュールはしいなの想像以上のようだ。
―――そーいや、少しやつれてたかも……。
ふぅ…と溜息を一つついてドレスに目をやった。
つやつやした素材の赤いドレス。
「……っとにバカなんだから。あたしにこんな派手なの似合わないよ」
呟き、しいなはドレスを持ち上げた。
「………ったく、話がなげぇんだよ!!」
悪態を付きながら、ゼロスは屋敷への道を歩いていた。話し合いの内容の薄さに反比例し、時間だけ
はやたらかかった。
――………。
しいなは帰ってしまっただろうか…?
屋敷のドアを開けると、セバスチャンがゼロスを迎えた。上着を渡しながらセバスチャンに問う。
「……しいなは?」
「藤林さまはずっとお待ちでした」
『でした』?やっぱり帰ってしまったのか?ゼロスは舌打ちし歩き出した。
自室へと歩くゼロスの後ろをセバスチャンが音もなく着いてくる。
「……?」
怪訝な顔でゼロスはセバスチャンを見下ろした。セバスチャンはいつもよりより抑えた声で続けた。
「……藤林さまはずっとお待ちでした。……お疲れだったのかそのままお休みになられています」
「!」
声には出さず、指で部屋を指すと、セバスチャンは首を縦に振り静かに立ち去った。
白い月の光が降り注ぐ窓辺でしいなは寝息を立てていた。
セバスチャンがかけたのだろう、白いブランケットが寝息に合わせて上下していた。
その無防備な姿に思わず苦笑が漏れる。
寝顔が見たい。
単純な好奇心にゼロスはしいなに近付いた。
頬を撫でる風に窓が開いていることに気付く。夏とは言えメルトキオでも夜は冷える。夜風に晒されたま
ま眠ってしまえば風邪をひきかねないだろう。窓を閉めようとゼロスが手を伸ばしたのが逆に空気を動か
したのか、しいなはくしゃみをした。
その途端に肩からかけていたブランケットがパサリと落ちた。露になる意外な位白い肩と赤いドレス。
ゼロスは口角を上げた。
「……やっぱ似合うじゃねーか」
しいなの白い肌と黒髪に赤はよく映えて。
しいなの黒曜石のような瞳にも映えるとは思うがそれを見るのは無理だろう。
「……おーい。しいな…。せめてベットで寝ろ」
小声での囁きにもしいなは反応しない。
起こさないようにそっと抱き上げてベットに横たえる。さらり…とブローした黒髪がシーツに広がり月の光を
弾いた。
その様はとても神秘的でゼロスは目を細める。月の光に誘われるように、キスをした。
「……ん………」
しいなの微かな身じろぎにゼロスは身を硬くする。
−……たかがキスでこんなに緊張するのは初めてかもしれない。
しいなは半覚醒したらしく、睫毛をしばたいた。
「……起きちゃった…?」
「………ゼロス??」
しいなは覚醒しきっていない目でゼロスを認めると「ふぁ……」と大欠伸をした。欠伸で出た涙に加え、こしこ
しと目を擦るものだからせっかくのメイクが落ちてしまう。
「…あーぁ……」
更にしいなは枕に頭をくっつけて猫のように丸まって再び目を閉じる。赤いドレスにはいくつもの皺が寄る。せっ
かくブローした髪も枕に擦れてくしゃくしゃだ。
ゼロスは肩をすくめた。
「……らしいっちゃ、らしいか」
ゼロスはしいなの髪をくしゃりと撫でて、そっと部屋を出た。
居間ではセバスチャンが静かに佇んでいた。
ゼロスが出てくると静かに訊ねる。
「…お食事は…?」
「あんなむさい野郎どもと俺さまが食事出来るわけねーだろー。なんか軽く作ってくれ」
ソファーに沈み込むように座りながらセバスチャンに命じ、目を閉じた。
とん、とテーブルに皿を置く音に目を開けると、テーブルの上には海苔と昆布に包まれたライスボール。
確か『おにぎり』とか言うんだったか…。
「…これ。お前が?」
「いえ。藤林さまがお待ちの間に。着替えられる前に作っておいででした。…ゼロス様がお忙しいのでご
心配されている様子でしたよ」
「へぇ…」
思わず顔がにやけた。ポーカーフェイスが信条の自分らしくもない。
「……悪くないな…」
こういうのも。
…鳥の鳴き声が響いていた。と、同時に声が響く。
「ぁあぁぁ?!」
「……ふ、藤林さま!?」
ドアごしにセバスチャンが声をかけた。
「あ…。ごめんなさい!なんでもない…です!」
「…その声でなんでもないってことはないでしょーよ…」
「…あ!ゼロス!?……ダメっ!!」
いきなりの拒絶の言葉にゼロスは目を丸くした。
しいなは部屋に閉じこもり、ドアのノブをしっかり掴んでいるらしい…。
「……おーい。しいなぁ」
「ダメだってば!ちょっと待っとくれ!」
「…俺さま、しいなのドレス姿見たいな〜」
ゼロスはしぃ…と指を口唇にやり、セバスチャンに合図をした。
セバスチャンは何も言わずドアノブに手をかけるのをゼロスと交替する。
しいなはベランダのカギを開けた。
着替えが何故かないのが悔やまれるが、くしゃくしゃにしてしまったドレスをゼロスに見せるわけには
いかない。
一刻も早く出なくては。靴もないので裸足で飛び出した結果長いドレスの裾を踏み転ぶ。
「…わわわぁ!!」
「………お前、なに人ん家のベランダで遊んでんの…?」
間一髪、落ちそうになっていたしいなの手を捕まえてゼロスが言った。
そのまま、ぐいっとしいなを引き揚げる。
「…ゼロス?!どうして、ここに!?」
「ここは俺さまん家だぜぇ?横の部屋のベランダから伝って来ればここのベランダに入れるってば」
「…貴族のくせに妙なことするんじゃないよ!」
怒り狂うしいなをニコニコとゼロスは眺める。
「やっぱり似合うぜぇ〜」
しいなはドレスに負けない位赤くなった。
「……ごめん。せっかくあんたが用意してくれたのにくしゃくしゃにしちまった…」
しいなは俯いた。
「しかも頭もくしゃくしゃだ…」
「……だから、帰ろうとしたのかよ?」
「…だって、……」
「……綺麗なのは昨日の夜見たから平気だぜ〜?」
「……昨日の夜???」
「ついでに寝顔まで見れちゃったしー」
―――更にキスまでしちゃったし、と心の中で付け加える。
「はぁ!?なんで声かけなかったのさ?!」
「かけたけど、お前起きなかっただけだって」
「もぉーー!!!」
「まぁまぁまぁ。とりあえず朝だし? 朝飯にでもしよーぜー」
爆発寸前のしいなの顔に笑い掛け、ゼロスは動きを止めた。
「ってかお前、シャワー浴びた方がいいわ」
「……は?」
「化粧が落ちて、本当に妖怪っぽい…」
やはり…というべきか、しいなのビンタは炸裂し、ゼロスの頬に紅葉を散らせたのだった。
「……ったくぅー顔は俺さまの命だっつーのにぃー」
ぶつぶつ言いながら、ゼロスは空を見上げた。
突き抜けるような青空に洗濯物が揺れていた。ふと感じた違和感に洗濯物を凝視する。
「……ん???」
ひらひらと風に揺れる変わった形の衣服とピンク色の帯。
「セバスチャン…?」
恐る恐る洗濯物を干しているセバスチャンに声をかけた。
「……まさかと思うけど、それってさ……?」
「すいませーん!!セバスチャンさーん!!」
質問が終わる前に響くしいなの声。それは間違いなく浴室からで………。
「あたしの装束どこですかー!?」
「…………」
「あんまりじろじろ見るんじゃないよっ!!」
そうは言われても。
しいなはゼロスのシャツを纏っていた。
セバスチャンはセレスの着替えを借りようとしたのだが、しいなの胸はセレスの服には収まらないらしく、
結果ゼロスの暫く着ていないシャツを着る羽目になったのだった。
それは意外な位艶かしくて。『見るな』と言うのは無理な相談だと思う。
「……そんな古着が役立つとは……ねぇ…」
しみじみと言うとしいなは怪訝な顔をした。
それを見ないふりをして。
「……なんかさぁ、朝二人で飲むコーヒーって色っぽくない〜?」
しいなにセバスチャンのいれたコーヒーを手渡しながら、冗談めかして言った。
「???? コーヒーはいつ飲んだっておんなじだろ?」
まっすぐにゼロスを見ながら不思議そうに言うしいなに苦笑しながら、ゼロスはコーヒーを口に含んだ。
―――いつか、しいなにも解るだろう。
その時、傍にいるのが自分だったら良い―――いや、そうでなければ困る。
ひそやかに思いながらゼロスは微笑んだ。
end
2006.8.31up
.
|
|