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MASQUERADE>
ミズホの民――――元はテセアラに住んでいた、存在そのものを隠蔽されている独特の文化
を持つ民族―――彼らの主な生業は暗殺、諜報を中心とした裏稼業である―――――。
しかし頭領が代替わりしてからはなんでも屋の様相も無きにしもあらず、なのだが。
<MASQUERADE>
「結構楽な仕事だったね〜」
ミズホの若き頭領、藤林しいなは沈み行く夕日を眺めながら背伸びをした。
「………しいなの貴族の娘の変装、なかなか堂にいっていたぞ」
「へへっ…。そーかい?でもこれ重くって。歩きにくいし……早く着替えたいよ」
そう言って、変装を解こうとするしいなをおろちは窘めた。
「……万が一もある。気を抜くな」
おろちはおろちで、使用人の変装のままだ。
「……そっか…ごめん…」
「……お前はまだ自覚が足りん。メルトキオ王への報告は?」
「まだ。……ミズホに帰ってから……」
「遅い。帰りにしてしまえば手間も省けるだろう」
「…はーい……」
「……メルトキオ王に会う前にどっかで変装解かないとね」
「宿屋を借りよう」
「………それめちゃめちゃ不自然じゃないかい…?精霊研究所にしようよ」
「………その方が不自然ではないか??」
「「…………」」
二人は目を見合わせた。心あたりはなくはないが、あまり使いたくはない―――おそらく二人の
共通した意見。
「……気は進まないが」
おろちは溜息をついた。
「……神子殿の屋敷にお邪魔しよう。神子殿は不在の可能性が高いし…セバスチャン殿ならば
口外すまい」
「……仕方ないか……」
メルトキオは浮足立った雰囲気だった。―――なにやら記念式典があるらしい。
――――この状況ならゼロスは間違いなく王城に行っている。
―――助かった〜。
ゼロスのことだ。この変装を見たら何かしらからかってくるに違いない。
出来るならゼロスと顔は合わせなくない。
しいなはゼロス宅のドアをノックした。
――――勢いよく開くドア――――中からは自慢の紅い髪を纏めたゼロス本人が現れた。バッチ
リ礼服に身を包んでいる。
「……え……え…え〜〜!?」
予想に反してゼロスが出て来たことにしいな狼狽した。ゼロスはゼロスでなにやら急いでいるようだ。
ろくすっぽしいなの顔を見ることなくしいなの手を掴む。
「ハニー!待たせてごめんね!!じゃあ行こうか!!」
しいなに息付く隙すら与えずゼロスは、しいなの手をとると歩き出した。
「…な…っ…!?」
―――呆然とするおろちを置いて。
ほとんど引きずられるような形でしいなが辿り着いたのは目的地でもある王城。
王城ではセレモニーの始まる直前のようだ。
「……あ〜。危なかった〜。間に合わねーかと思った〜!」
―――もーちょい余裕持って……!
文句が口から零れ落ちそうだったが場所が場所だけに口をつぐむ。
……このセレモニーに自分は不似合いすぎやしないかと自身を見て、変装していたことを思い出す。
「ハニー。喉渇かない?なんか取ってくるよ?」
『あたしはハニーじゃないよ!』―――言おうとしてふと思い当たる。今、しいなはドレスを纏っている
だけではない。栗色の巻き毛のウィッグと普段はしない化粧――――こいつ、もしかして………あた
しに気付いてない…?
「……え…えぇ。お願い……いた…いた…します…。ゼロス……様」
「おーよ。シャンパンでいい?」
「……は…はい」
歩き去るゼロスを呆然と見送りながら、しいなは笑い出しそうだった。
―――いつも自分をからかうばかりのゼロスを騙す―――なんて楽しいんだろう。
しかも、ゼロスは時として自分を他の女性と明らかに差別することがある。
―――妖怪、なんて言われてあたしだって傷付いてるんだから!
ゼロスが他の女をいかに口説いているかをとくと観察し、後でからかってやろう――――そう、思った。
厳粛な雰囲気の中でセレモニーが終わり、パーティーが始まった。
ゼロスは普段から180度違う優雅な立ち居振る舞いで辺りの注目を浴びていた。
―――あの優雅なゼロスからは、セクハラ発言を連発し、『でひゃひゃ』と下品に笑うゼロスは想像出
来なかった。
――――でも………。
綺麗だけど…あたしはあんな隙のない笑顔……嫌だな。
あたしの好き嫌いなんて……そんなの、関係ないけど。
女性は言うまでもなく、男性にも如才ない笑顔を送る。
不思議な位、心が波立つ。しいなは口唇を噛んだ。
―――ゼロスをからかう、なんてバカなことはやめて、帰ろうか……。
俯いたしいなに差し延べられた手。
「ハニー?楽しんでる?」
ゼロスの言葉に曖昧に笑った。
「……踊っていただけますか?ハニー?」
ゼロスがそう言った途端に、明かりが暗いものに切り替わり、音楽が響き始めた。
「……あた……じゃなくて…私……踊れません……」
「……大丈夫。リードするからさ。……ほら」
―――思わずゼロスの手をとった。
刺すような周囲の視線――――周りの悪意に近い感情に恐怖を感じた。
「…………」
不必要な位、身体を密着させれば、長身のゼロス以外は視界に入らない……。けれど悪意に満ちた鋭
い視線はその程度ではかわすことなど出来ない。しいなは俯いた。
「ハニー、ナイスバデーだね〜」
しいなの身体をほぼ抱きしめるように密着したゼロスが言った。条件付けられたように拳を固める―――。
けれど、‘お嬢様’は手を上げたりしない筈だ。爪が食い込む程に己の手を握った。
‘お嬢様’に向けられた‘いつもの言葉’にどうしようもなく苛立つ。
―――あのバカで下品でにやけた‘ゼロス・ワイルダー’はあたしの………あたしたちの前だけでいいの
に………。
「……ハニー……可愛いね」
耳元で囁かれた言葉に冗談抜きで鳥肌が立った。
思わずまたきゅっと拳を握る。爪の食い込んだ掌が鈍く痛んだ。
「……私……の名前……ご存知ですか…?」
名前のない‘ハニー’と言う女たち。彼女たちもこんな気持ちを味わっているのだろうか?……それとも、
そんなこと構わないのだろうか?……そして、ゼロスは――――そんな名前すら知らぬ女で良いと言うの
か――?
ゼロスは不思議そうに眉を持ち上げた。
「ハニーはハニーだろ?それじゃダメ?」
―――やっぱりあたしはそんなの無理。
言ってゼロスの腕の中から抜け出そうとしたが、重いドレスと歩きにくいハイヒールで出来ない。
「………ちっと外行こうか…」
「……え。……あの…」
ゼロスに手を引かれ回廊を突っ切った。背後に痛い程の視線。そして『今日のお持ち帰りはあの娘か』―――
――そんな悪意に満ちた、囁き声を背にしながら。
ほぅ……とゼロスは溜息をついた。
「つっかれるよな〜」
砕けた様子のゼロスは普段と変わらない―――それがはっきりとムカつく。
―――‘お嬢様’にもそんな顔、見せちゃうんだ?
「ハニーも少し疲れたんじゃねーの?」
何も言わず首を振った。
―――からかってやろう、なんてバカなこと考えなきゃ良かった。
ただ、疲れる貴族たちのやり取りを眺め、誰にも如才ない態度を示すゼロスを見て不愉快になっただけ……。
「ハニー、何も食べてないんじゃないの? 俺の家で何か食べてけば?うん。そーしよう」
「……えっ…!」
「んでもって〜今日は家に泊まってけばいいよ。俺さまがハニーをあっためてあげるから」
――――怒りを通り越して唖然とした。口説く、と言うよりはこれじゃ単に……。
「……ハニー?」
「………」
「もしかして〜ハニー、初めて、とか?大丈夫、大丈夫!」
ゼロスが顎を掴み、顎を上げられて―――灰蒼の瞳がまっすぐにしいなを見下ろしている。徐々に近付いてく
るゼロスの顔。
―――やだ。‘お嬢様’なんかにキス、しないで。
「………っ……」
――――涙が零れた。
「……………………………………………………………………………………………………………………
………………………………………………おい。アホしいな。泣くな」
ゼロスから放たれた言葉にしいなは凍りついた。
「………え……」
「………マスカラ落ちて、マジで妖怪じみてんぜ?」
そう言って、ゼロスはしいなの頬を指先で拭った。
「えーーーっ?!あんた気付いてたのかいっ!?」
「………あったりまえでしょ〜。俺さまがその程度の変装見破れないかと思うかぁ〜?」
「いつから?!いつから気付いてたの!?」
―――気付いたのは、手を握った時。その感触でしいなだと解ってしまった。つくづく自分のアホさ加減に呆
れ返る。
どうやら自分のことを観察してからかおうと企んでいることも、彼女の豊かな表情から察していた。
「……お前さぁ俺さまを騙そうなんて100年早いっつの!」
「だって…だって……!!」
更に涙を溢れさせるしいなの鼻をぎゅっと摘んだ。
「泣くな。泣くな。さぁメシ!メシ!!」
「ん゛ーーー!!!」
「なんならその後、俺さまが温めてやろーかー?」
「………殺す!!殺す〜〜!!」
「はいはい。不穏なこと言ってねーで行くぞ〜」
しいなの手を引きながら、違和感に気付き、しいなの手を取った。
――――自らの爪で傷付いたしいなの掌。相当な力で握りしめたのだろう、血が滲み出していた。
「――――ここまで俺さまのこと、殴りたかったわけ??」
「うん」
素直に答えるしいなに苦笑しながら、ファーストエイドを唱えた。
「……ってーかさ〜、さっき何で泣いたわけ?俺さまはいつ殴ってくるかヒヤヒヤしてたんだけど?」
「……あんたが安っぽい男だなんてことよく知ってたけど……」
「おい。てめ〜さりげなーく超失礼だぞ」
「……ホントに誰でもいいってことを見ちゃったらなんか………」
「―――誰でもいーわけねーだろ」
「………え…」
「……しいなじゃなきゃダメ……そう言えばキスしていいわけ…?」
見上げてくるしいなの瞳からまた、涙が零れた。
「だ〜!?なんで泣くんだよ?!意味わかんねぇ!」
気まずい雰囲気が嫌でまたしいなの鼻を摘んだ。
「ん゛〜!あんたが心にもない嘘、つくからだよ!」
―――嘘じゃねーっつの。口唇を尖らせつつも、しいなを泣かせるのは本意ではないので、しいなの手首を
掴んだ。
「さー。メシ!メシ!俺さま腹減ったー!」
「………」
しいなは俯いて小さな声で呟く。
「……嘘つき」
「………」
溜息をつく。
今は、まだ。本当のことを言ってもしいなには伝わらないから―――。
「まー。俺さま、頑張っちゃうからっ」
もう少し。もう少し二人の距離が近付いたなら、‘本当のこと’をしいなに伝えよう。
それまでは。
この、つかず離れずの距離を楽しむとしよう――――。
「しいな〜。何食いたい〜?……俺さまね〜肉じゃが〜」
「あ〜。いーね……ってあたしが作るのかい!?」
「あったりまえだろ〜。俺さまはデザートのメロン切ってやる〜」
「あんたね〜!!」
end
2006.11.23up
餅様キリリク special thanks!!
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