<虚の海>
赤い髪が、さらりと私の頬を撫でた。髪の持ち主は虚な目で身体を起こす。
―――この男の瞳はいつも虚だ。いつもふざけたようでいて―――何も写していないように――――虚。
その虚に戯れに触れてみたくなった私も―――果てしない虚を抱えているのかもしれない……。
<虚の海>
「……ねぇ。何考えてるの…?」
「………」
男は私に目をやると、笑った。いつものバカ笑いじゃない。シニカルで―――探るような笑い。
「リフィル様こそ、な〜に考えてんの?」
「…………」
―――何を考えているのだろう……?
何が私をこんな愚かで浅はかな行動に走らせたのだろう………。
――――人形を抱えた女の姿を思い出した。
あの人だ―――――……あの人はいつも私の心を掻き乱す。
――――あの人を憎んで、呪って生きて来た――――それなのに。
「…………」
「……ヴァージニアさん……か」
ゼロスは正しく私の心の底の澱の中の事実を見極めた―――。私は口唇を噛む。
―――私とジーニアスを捨てた母は、空に浮かぶ都市で記憶を失って暮らしていた。……私のこともジーニアスのことも
忘れて。
その姿は私の心を思いの外乱した―――。
―――ねぇ……どうして私の名前を呼ぶの……?
どうして私に貴方を憎ませてくれないの……?
酷い。
私が……私とジーニアスが今までどんな気持ちで生きて来たかも知らないで――――私を愛している………と言うの
ね……?
私は自嘲の笑みを刻んだ。
「………バカな女。弱い女………最低な女」
―――それは母のことなのか、己のことなのか………解らなかった……。
「………」
ゼロスは虚な目のまま何も言わない。
「……あなたのお母様とは正反対よね」
「………」
ぴくり、とゼロスは震えた――――肌が触れ合っていなければ気付かない些細な奮え。
シーツを引き寄せてゼロスの顔を覗き込むと、ゼロスは珍しく笑わずに私の顔を見返して来る。
「……リフィルさま。俺さまのおふくろのこと、知ってるわけ…?」
――――怜悧な瞳…………何者をも寄せ付けないようなその瞳―――これこそがこの男の本来の瞳なのかもしれない―――。
その瞳を正面から見据えたまま、私は囁いた。
「私…あなたのことを調べたの」
「……なんで?」
「…一つはコレットと対を成す筈のテセアラの神子に興味があったから」
「………」
ゼロスは静かに、私の言葉の続きを待つ。
「………あと一つは、ロイドとコレットを裏切るとしたら貴方しかいないからよ。もう裏切られるのはあの人だけで充分だから」
またゼロスがぴくり……と震えた。
―――不思議。肌を一度合わせただけで―――……少しだけこの男の心の揺れが解るなんて。そこには心なんて欠片も
ない筈なのに。
やがて、ゼロスは喉を鳴らして笑い出す。
「…ひゃひゃ…。そーかもねー。…んで調査の結果はどーよ??」
「……貴方も意外に大変な人生歩んでるってことは分かったわ」
「………」
ゼロスは否定も肯定もせず、瞳を伏せた。
「……なぁ?俺のおふくろはなんて言われてた?」
「………?…神子様を身を呈して庇った聖母と…言われていたわ…」
―――大雪の降ったメルトキオ。雪遊びを楽しむ幼い神子を、狙う魔法。母は自らの身体で神子を守ったと言う―――。
母の壮絶な死に様を見てしまったから――――この男はいびつに歪んでしまったのだろう……。
私はそう思っていた―――けれど。
くくっ…とゼロスは低い笑い声をもらした。
「……へぇ。そんな美談になってるんだ…」
ゼロスは私の首に顔を埋めた。口唇でそっと辿って行く先は私が人間ではない証――――ハーフエルフである証の耳。私の
耳に甘噛みして耳元でゼロスは囁いた。
「……ホントにハーフエルフなんだよな…?」
「そうよ?…貴方が蔑んでいた」
テセアラでは、シルヴァラントより激しくハーフエルフは侮蔑の目で見られ差別されて生きていたから…、貴族であるゼロスが
ハーフエルフをよく思っていないのは明白だった。更に母を殺した者がハーフエルフだったのだからなおのこと。
「………」
ゼロスはゆるゆると首を振る。
「…なぁ、リフィルさま。朝が来たらお互い、このことは忘れる……だよな?」
「……えぇ。そうね…」
私は貴方を。貴方は私を利用したに過ぎないのだから、今晩の出来事は互いに虚な夢として忘れてしまうのだろう。
「……俺も同じなんだ…」
「……え……?」
ゼロスは皮肉な笑みを浮かべて、私から目を逸らす。その顔は全てを拒絶していて、『なぜ?』とは聞けない雰囲気。
―――神子は全てに望まれている筈だ。コレットもイセリアで不自由することなく育って来た。衰退世界シルヴァラント
でさえそうなのだから、繁栄世界テセアラではなおのこと……。
「……あんたの聞いた話は間違っちゃいない。ただ…細かいディティールの違いがある」
低い声でゼロスは続けた。
「…俺のおふくろは確かに俺を庇って死んだ。形はな―――本当は庇うつもりなんてなかったんだ」
「……どういう……こと……?」
「おふくろは俺におもーい一言を遺したんだ………」
「……一言?」
「……『お前なんか産まなければ良かった』…ってね」
全く笑えない台詞をさらり…と口にする。
「神託ってコレットの傍にいたあんたなら知ってるだろ?」
「……知ってるも何も、神託が降りたからこそコレットは世界救済の旅に出たのよ」
「…なら言うまでもないけど、神託はマナの血族に下るクルシスからの命令だ。ある意味、国王や教会から縛られること
のない神子が唯一逆らえないものなわけよ。その命令は余計なお世話なことに神子の結婚相手まで決めるんだよ」
「………」
「俺の親父……先代の神子は神託の通り、俺のおふくろと結婚した。その結果生まれたのが俺。俺はきちんとクルシス
の輝石を持って生まれちまった」
「……次代の神子になることが定められたのね…」
コレットがそうだったように。
「親父はずっと昔から愛人がいてな、結婚してからも愛人とは関係が続いてた。……神託が無ければその人と駆け落ち
したのかもしれねーな」
「…駆け落ち…?」
「ハーフエルフだったんだよ。愛人は」
……神子がハーフエルフと結ばれる―――許されるわけがない……。
「……その人は身篭ってな、生んだ子供がセレスなんだ」
「……」
「セレスはクルシスの輝石は持たず生まれた。だが……あの人はセレスを神子にしたかったんだ」
「……だから、貴方を殺そうとしたの?」
「…そ。死んだのは俺のおふくろで、あの人は捕らえられ処刑された。セレスは南の修道院に可哀相に軟禁される羽目に
なったってわけ――――俺におもーいおもーい呪縛を遺して……な」
淡々と。ゼロスは言葉を紡ぐ。
「…俺は誰にも望まれず生まれたんだ……だから。俺のおふくろはあんたのおふくろさんと一緒……」
この男の果てしない虚無。その一端は冷たくて……。私は身を起こし、男に寄り添った。今はただ、人の温もりを感じたかっ
たから。
――――そこには情なんてない。むしろ煩わしい位だ―――ただ温もりだけが恋しかった――――。
「……同情してくれるわけ……?」
「……まさか。ただ…抱き合っていれば凍えずに済むし、忘れていられるんじゃなくて?……お互いに」
くすり……ゼロスは笑い、私に口付けた。
二人でシーツの波間に沈んで行く。
――――虚な夜の海に互いが溺れて溶けてしまえばいい……そう思った。
end
2007.3.16up
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